月照寺について
トップ / 月照寺について
小泉八雲が愛した寺院
日本文化に深い愛情を注いだ文豪・小泉八雲。
彼がこよなく愛し、たびたび訪れたのがここ月照寺です。

(パトリック・ラフカディオ・ハーン)
小泉八雲とは
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は1850年、ギリシャのレフカダ島に生まれ、アイルランドで育ちました。
19歳でアメリカに渡り、新聞記者や文筆家として活躍します。
その後、日本文化への関心から1890年に来日し、島根県尋常中学校および師範学校の英語教師として松江に赴任しました。在任中は日本の風土や風習に深い興味を持ち、松江の人々との交流や日常生活を通じて多くの体験を重ねます。
滞在は約1年3ヶ月でしたが、この間に結婚もし、のちの作品の源となる多くの伝承や風景に触れました。
その後は熊本、神戸、東京と移りながら、日本を深く見つめた作品を数多く残していきます。

月照寺と小泉八雲

小泉八雲は松江での滞在中、地元の人々と積極的に交流し、日本文化への理解を深めました。住まいとしていた武家屋敷では、畳や障子、庭の景色など日本家屋の生活に親しみ、近所の子どもたちや商店の人々とのふれあいも多く記録されています。
また、神社仏閣や墓地を訪ね歩き、庶民の信仰や習慣に強い関心を示しました。特に仏教や神道にまつわる風習、先祖を敬う心に深い感銘を受けたと語っており、これらの体験が後年の作品の重要な題材となっています。

随筆「神々の国の首都」では、月照寺の墓所に並ぶ石灯籠が「何千という数」であることや、それぞれが家臣たちの名を刻んだ記念碑であることが描かれ、八雲がその風景に歴史的重みと静けさを感じ取っていた様子が伝わります。
また、幻想的な雰囲気にも言及し、日本の死生観や信仰に対する理解の深さが表れています。
こうした描写は月照寺に限らず、松江という土地全体への関心の一端でもあり、『心』『仏の畑の落穂』『日本雑録』といった他の著作にも、松江での体験や印象に基づいた記述が散見されます。
八雲にとって松江は、創作の原点となった特別な土地でした。
大亀の寿蔵碑にまつわる伝承と由来
月照寺の大亀にまつわる伝承は、怪談としての側面と、
藩主による寿蔵碑奉納の史実が交錯する、興味深い歴史を今に伝えています。

月照寺の大亀の石像には、ふたつの怪談が語り継がれています。
ひとつは、ある藩主が生前に愛した亀を偲んで建立された石像が、藩主の死後に夜な夜な暴れ出し、人を襲うようになったという話。困り果てた住職が深夜に説法をすると、大亀は涙を流し、「自分でもこの奇行を止められない。どうかお任せしたい」と語ったといいます。そこで藩主の功績を刻んだ石碑を大亀に背負わせ、この地に封じたと伝えられています。
もうひとつは、1760年頃、月照寺の池に棲んでいた亀が、夜になると妖力で巨大化し、寺を抜け出しては城下の子どもをさらって食べていたとされます。それを憂いた住職が大きな石像を造って墓所に安置したところ、池の亀は姿を見せなくなったと伝えられています。
現在月照寺にある大亀像は、松江藩7代藩主・松平治郷(不昧公)が、父・宗衍の長寿を願って奉納したものと伝えられています。大亀の背には「寿蔵碑」と呼ばれる石碑が載せられており、これは生前に建立される供養塔の一種です。石材は出雲市平田の山奥から切り出され、イカダに乗せて宍道湖と堀川を経て運ばれました。月照寺の山門までイカダを引き入れるため、堀を削った跡が今も残っています。現在では、この大亀の頭を撫でると長生きできるとされ、多くの参拝者が訪れています。
松平不昧公 ― 茶の湯と文化を愛した名君
月照寺にゆかりの深い松平治郷(不昧公)は、松江藩7代藩主として藩政を立て直すと同時に、
茶の湯をはじめとする文化振興にも尽力しました。
その精神と功績は、現代の松江にも受け継がれています。

不昧公とは
松平治郷(不昧公)は、江戸時代中期の松江藩7代藩主として、若くして藩政を担いました。
治世は財政難に直面しており、不昧公は倹約を基本とする改革を推し進め、藩財政の立て直しに尽力しました。過度な贅沢を避けつつ、武士の品格や教養を重んじた政治は、民の信頼を集めたとされています。
また、実学と精神文化の両立をはかる姿勢は、単なる統治者を超えた教養人としての一面も強く印象づけています。
茶人としての功績
― 不昧流と文化の継承
不昧公は、藩主としての務めのかたわら、茶道に深い造詣を持ち、「不昧流」の祖としても知られます。
大名茶人として名を馳せ、多くの名茶道具を収集・保護し、その記録は『雲州蔵帳』として後世に残されています。「茶は服のよきように点て」と説き、形よりも実を重んじた不昧流の精神は、今も多くの茶人に受け継がれています。
茶道だけでなく、和歌や書、工芸など多彩な文化への関与も深く、松江の町に気品ある美意識を根づかせました。
現代に息づく
不昧公の精神
不昧公の文化的遺産は、現代の松江にも色濃く残っています。
松江は今でも「茶の湯のまち」として知られ、市内では不昧公ゆかりの茶室や道具を見ることができます。
また、毎年秋に開かれる「松江城大茶会」
月照寺に残る寿蔵碑や大亀像も、不昧公が家族への祈りと共に築いた文化の象徴の一つといえるでしょう。
松江藩歴代藩主が眠る廟所
江戸の美と伝統を継ぐ
貴重な文化財の宝庫
月照寺は、松江藩歴代藩主の廟所として江戸時代から続く歴史を今に伝える貴重な文化財の宝庫です。
江戸時代の名工たちによる精巧な建築や彫刻、
そして藩主ゆかりの文化財が当時の風格をそのままに保存されています。
こちらでは、歴史的価値の高い文化財や建築様式の魅力を詳しくご紹介します。
名工たちの精緻な技が結晶した江戸建築の魅力。
廟所や寺門をはじめとする建造物が、時を超えて当時の風格を今に伝えています。
四季折々に姿を変える静寂の庭園。
歴史ある風景の中で、お茶菓子と共に心落ち着くひとときを過ごせる趣深い空間です。